彼らはこう答えた。「捕囚の生き残りで、この州に残っている人々は、大きな不幸の中にあって、恥辱を受けています。エルサレムの城壁は打ち破られ、城門は焼け落ちたままです。」 

ネヘミヤ1章3節

「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか」

Ⅰコリント人への手紙3章16節

時代背景

ダビデによりイスラエルは強力な国家となり、その子ソロモンにより神殿建設が行われます。しかし、ソロモンは神殿建設に7年、自分の宮殿には14年、合計20年の年月に莫大な財と人手を費やします。この間ユダ族は支配階級のようになり、他の10部族の民を隷属するようになります。そして、次第に民の心はユダ族から離れていくようになります…。

ソロモンの死後、10部族はソロモンの跡継ぎ息子レハブアムを訪ね、自分たちの取り扱いについて陳情しますがはねつけられます。そこで彼らはユダ族から分かれ、ヤロブアムを王に立て北イスラエル王国を設立します。この時から、北イスラエルは偶像礼拝へ走ることになります。そして、BC722年にアッスリアに滅ぼされ、捕囚として連れ去られ、ついには帰らぬ民となります。

ユダ族を中心とした南ユダの歴史はしばらく続きますが、東に出現した強大な国バビロン帝国の世界征服の流れの中で、バビロンとの戦争に突入し、膨大な死者を出し惨敗します。その結果、南ユダもBC597年、586年、582年の3回に及びバビロンの捕囚となります。

この時バビロン軍は、エルサレム神殿の中の全ての巻物(聖書)と、南ユダの元気な者、能力ある者たちのほとんどをバビロンに連行しました。捕囚となった彼らは、そこで聖書を熟考する環境が与えられ、悔い改めが興され信仰復興、そしてリバイバルを経験します。そうです、実はこれらは神の恵みでした。

やがてその恵みは、第一次捕囚から67年経ったBC530年、ペルシャ王クロスにバビロンが滅ぼされ、翌年にはクロス王によるイスラエル帰還令が発令へとつながります。そして、BC529年から8年にわたり、帰還を望む人々はイスラエルに帰って行きました。これはエレミヤの預言、「民はバビロンの王に70年の間仕え、70年が終わると、バビロンの王とその民を…罰し…民は帰る」(エレ25章11節・29章10節)の成就でした。

帰還から更に60年を経て、エズラとそのグループがイスラエルに帰り、神殿の再建にかかりますが、妨害が多く完成できません(…エズラ記…)。 さらに14年経ったBC445年、神はネヘミヤに語りかけ、彼を用いて神殿再建へイスラエルに遣わします。

この章についての考察

ペルシャの高官として王に仕えているネヘミヤの下に、エルサレムの神殿再建ができず、神の栄光が現れていないと報告が届きます。 するとネヘミヤは、「これを聞いて私は座り込んで泣き、幾日も嘆き、食を絶ち、天にいます神に祈りをささげた」(1章4節)、そして王の許可を得て、神殿再建のためにエルサレムに向かいます。実に、このイスラエルの姿こそ、一人ひとりの神の前における姿です。

神の大いなる恵みにより、イスラエル王国なる神の国とされたのに、神との継がりと交わりをおろそかにし世や偶像を愛した結果、バビロン(この世)の奴隷となり連れ去られます。

その苦しい境遇から、やっと悔い改めが起こされ神に立ち帰ります。悔い改めを待っていた神は、早速バビロンからの帰還を準備します。 その恵みによりエルサレムに帰るも、そこは70年留守にしていた間に住み着いたカナン人に占有され、彼らは思い通りに神殿再建=信仰再建ができません。

エルサレム神殿の再建こそ、各々の信仰再建でもあります。バビロン帰還から80数年経っても不可能だった再建の難しさは、カナン人なる「肉」に邪魔されるからでした。 そこに遣わされたネヘミヤ、彼の信仰と神からいただく知恵と勇気、それは私たち個人の中に神が住んでくださる「霊の神殿」の再建メッセージとなります。

聖書日課

「ネヘミヤ記」は、まだ聖書日課では扱われていません。扱われ次第、アップしいていきますので、お楽しみにしていてください。

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