12章6節
…イスラエルの人々が二人の王を打ち殺した後、これらの地域は主の僕モーセによってルベン人、ガド人、マナセの半部族に領地として与えられた。
ルベン人・ガド人・マナセの半部族は、ヨルダン川を渡る前に、「カナンに入って皆と共に戦い、戦いが終わった暁には、東側に戻る」(民32章参照)とモーセと約束していました。彼らは、せっかく獲得した乳と蜜の流れる地から、元の土地に戻ってしまいます。
彼らの行動は、モーセの許可からではなく、彼らの決意からでした。このことは、聖霊に満たされた神の子が、肉のクリスチャンに戻ってしまうこと、とも言えます。さらに、聖霊に支配される経験をしたのに、それを忘れて肉によって生きる生活に戻ること、とも言えます。事実、このような神の子たちが多くいます。
それでは、どのような時に霊の人が肉の人に戻るのでしょうか(Ⅰコリ3章1~3節参照)。それは、「神が私に願うこと」ではなく「私が神に願うこと」がその人の信仰姿勢になる時です。その時、ヨルダン川の西から東に戻ることになります。
神の約束の地、カナンに入った友よ。荒れ野で自分が神の上に立ち、自分が願う恵みを自分の力で追い求めていた苦しい信仰生活を思い出してください。それに比べ、カナンにも戦いはありますが、それは、自分に代わり神に戦っていただくために自分に死ぬ葛藤というものであり、荒れ野とは全く違います。荒れ野に戻ってはなりません。カナンに身を縛り付けてください。
12章全体
ヨルダン川の向こう側、すなわち東側で征服し、占領した国々とその王は…。計三十一名の王である。
ヨシュアに率いられたイスラエルは合計三十一名の王たちを滅ぼしました。そして、滅ぼした国々の名を王の名と共に記しました。
聖書全体を見ても、ダビデをはじめ、そこに登場する一人ひとりの歩みは戦いの記録でもありました。戦いには勝つ時もあれば負ける時もあります。神の子たちはそれをしっかりと記録せねばなりません。記録することによって、さらに固く信仰に立ち続けることができるからです。
勝利の記録が意味するものは、
友よ。あなたは幾つの国と王から勝利を得ましたか。また、敗北した経験も無駄にはなりません。ただなんとなくの信仰生活ではなく、その時受けたみことばに赤線を引き、書き込み、記録としてください。それらがあなたをさらなる聖別の恵みへと引き上げます。