ウツの地にヨブという人がいた。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きていた。…主はサタンに言われた。「お前はわたしの僕ヨブに気づいたか。地上に彼ほどの者はいまい。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きている。」サタンは答えた。「ヨブが、利益もないのに神を敬うでしょうか。」
ヨブ記1章1~9節ウツの地にヨブという人がいた。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きていた。…主はサタンに言われた。「お前はわたしの僕ヨブに気づいたか。地上に彼ほどの者はいまい。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きている。」サタンは答えた。「ヨブが、利益もないのに神を敬うでしょうか。」
ヨブ記1章1~9節聖書の中でヨブ記ほど難解なものはなく、ヨブ記ほど人の興味を引くものもないと言えます。神を信じ戒めを忠実に守るヨブ、この人ほどの信仰者はいないはずなのに、全財産を失い、息子家族を失い、自分の健康も失い、友人たちからの罪探しにさらされ…と、多くの苦難にさらされます。
しかも、ヨブの苦難の背後には、神とサタンとの取引も見え隠れします。「義人がなぜ苦しむのか。しかも神がなぜそれを許すのか。神と人はどう付き合えばよいのか…」などヨブ記から受け取る疑問には底がありません。
聖書の神は、「義と聖と愛」の神ですから、人を貶め、躓かせ、弄ぶことは決してできません。それでは、神はなぜサタンの手にヨブを委ね、苦難を与えたのか?
それは、神がヨブに求めていたものが、真実な愛の交わりだったからです。しかし、ヨブにはそれを拒むなにかが、気づかない中で少しずつ大きくなっていました。それは、「私の信仰」による「義」と言うべきものでした。ヨブは、「自分の信仰深さで自分を救っていた」と言えます。神はそれを砕かねばなりませんでした。
ヨブの財産は、息子たちでも、財産でもなく、「私の信仰」でした。苦難によってすべてを失った時、「私は裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよう」(2章21節)に、読む者の心が釘付けられますが、そこには、「私の信仰はどうだ!」との隠れた声が潜んでいないでしょうか。
"主は嵐の中からヨブに答えて仰せになった。「これは何者か。知識もないのに、言葉を重ねて神の経綸を暗くするとは。」"
どうぞ、5回の講解メッセージに耳を傾け、そして「あなたとしてのヨブ記」を描いてみてください。
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「ヨブ記」聖書講解文は、現在準備中です。公開予定日は目下のところ未定となっていますが、準備に入り次第トップページのNEWSに詳細情報を掲載させていただきます。
「ヨブ記」は、まだ聖書日課では扱われていません。扱われ次第、アップしいていきますので、お楽しみにしていてください。