37章1節
ベツァルエルはアカシヤ材で一つの箱を作った。
36章からは、「作った・取り付けた・織り出した」などの「…した」が何十回と記されています。信仰は恵みであって行いではない、と言う者の耳には金属音に聞こえます。
民は、幕屋と内部のものを造りますが、神を造るのではありません。それは、「小さな自分」を作ることです。人生で最も大切な仕事は、天の御国へ入れるか否か、の生死を決める、神と自分の関係です。しかしそこには、「狭い門…。いのちに至る門は小さい」(マタ7章13・14節)という小さく狭い門を通らねばなりません。知識、財、実績、健康などで「大きな自分」になった者は通れず、神の御前にへりくだる「小さな自分」になった者だけが通れます。
友よ。神の子の生涯は、自分を大きくすることでなく、小さくすることです。それには、御言葉で示された寸法と形に、自分を合わせることです。神の子とされ、キリストの体として生き、人々を愛するのは、自分が小さくされるためです。「主の御前でへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高くしてくださいます」(ヤコ4章10節)。主に小さくされた者こそ、幸いな人です。