36章2節
心に知恵のある者すべて、すなわち感動して、進み出てその仕事をしたいと思う者すべてを、呼び寄せた。
モーセは、35章で捧げることを、36章から39章では、神が示された通りの制作・行動を起こすことを勧めています。
神を「信じる」と「愛する」には違いがあり、信じることは「捧げる」と「行動」がなくても可能で、愛するには両方が必要です。
信仰が回転木馬になるのは、聞くだけで行いが伴わないからです。ある小さな群れは、「私たちは実践組」と名乗り、神から聞いたことを生活の中で実践しようとしています。
神は、人が捧げた物(契約の箱、燭台、幕屋…)などで御自分を表しますが、なによりも表すことができるのは、立派な会堂や組織や礼拝プログラムでもなく、「人」です。 イザヤは「だれを遣わそう」(イザ6章8節)という主の声を聞き、エレミヤは「あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国々への預言者と定めていた」(エレ1章5~)とは聞きました。
友よ。あなたは、主の御心を知っています。捧げることも行動に出ることも、「キリストとの共同相続人」(ロマ8章17節)である家族の一員としての恵みです。礼拝は座って聞くことから、出て行くことまで含みます。